COMMENTS コメント・海外評
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花嫁たりそびれた旧植民地生まれのヴィタリナが、花婿となるはずだった男の数十年後の死を契機に、初めて訪れた「何もない」ポルトガルで過ごす曖昧な時間を、贅沢きわまりないキャメラが時間を超えた生の持続としてスクリーンに炸裂させる。このコスタの魔術を、息を殺して見つめるが良い。
蓮實重彦(映画評論家)
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目もくらむ陰影と、完璧な構図に配置された俳優たち、そして静寂の中から響いてくる声の陶酔。これは創世期の映画が夢見た、もうひとつの完璧な形式だ。映画はこのような方向に発展していくこともできたのだ。
黒沢清(映画監督)
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コロッサル・ユース (2006)は鮮やかな青空と白と届かない手紙を巡る映画だった。
ヴィタリナ(2020)はそれとは対照的な黒を基調とした洞窟のような部屋で、届かない気持ちや間に合わなさを語る主人公を精緻な光の中でカメラが追っていく。
しかし思い返せばペドロ・コスタがずっと撮り続けている「部屋」はプラトンの洞窟なのかもしれないと、この映画を観て初めて気づいた。
現実は存在しない、部屋という洞窟に反響する影や記憶をいかに映画という実体に定着させるかという逆説的な挑戦の到達点が今作なのかもしれない。渋谷慶一郎(音楽家)
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画面からしたたる光と影の残酷さ。
待ち続けたヴィタリナの30年間に射抜かれて私たちの日常が立ちすくむ。
移民の生について、こんなにも雄弁な寡黙さは他にない。斎藤真理子(韓国語翻訳者)
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ヴァンダのまなざしから受けたのが挑戦だとすると、ヴィタリナからはままならない人生における悲しみの同調。故郷の島の風景が目の前に開けたとき、やるせなさが最高潮に達して泣きそうになった。
岡田カーヤ(ライター/ミュージシャン)
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ヴィタリナ・ヴァレラは闘っている。死後も居座る愛憎の記憶と、亡霊のように佇む生者たち。ヴィタリナの悼みを撮すペドロ・コスタとクルーは、彼女を虚実の中で解放することも閉じ込めることもしない。その闘いに、同行している。
小田香(映画作家/『セノーテ』『鉱 ARAGANE』)
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愛と死と移民をテーマにした息を呑むほど見事な映画。
RogerEbert.com
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暗闇の中に限りない美しさを見出す。
『ヴィタリナ』は今に通じている。ガーディアン
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いまは亡き夫の隠された人生を知ることになるひとりの女性。
夫と対面する願いも裏切られたヴィタリナの深い苦しみ、それを乗り越え生を掴み取ろうとする彼女の強靭な意志、そして不屈の再生を遂げるその姿をこの120分のあいだに目撃することになるのだ。ガーディアン
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ペドロ・コスタから届けられた不思議で、
美しい映画。フィナンシャル・タイムズ
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漆黒の革ジャンとヘッドスカーフで喪に服す未亡人ヴィタリナの顔。その額や頬、鋭い鼻筋。頭の丸みが影に抗いながらはっきりとした像を結びはじめる。彼女は自分自身のモニュメントとなるのだ。
Little White Lies
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『ヴィタリナ』は光と闇のあいだを遊歩する女を映画そのものに昇華させた傑作。
ボストン・ヘラルド
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沈痛な悲しみが刻まれた時間のただ中から生まれてくるイメージ、アイデア、エモーション、身体のダイナミズムに目を奪われる。ペドロ・コスタがあらたに成し遂げた、古典的メロドラマとドキュメンタリーの融合。
ニューヨーカー
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ペドロ・コスタのような映画を撮れるものなどどこにもいない。誰もが打ちのめされる傑作だ。
アイリッシュ・タイムズ
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ヴィタリナが発する言葉、悲しみに満ちたその眼差しによって観客は、魅了されると同時に気持ちが引き裂かれる衝撃を味わうだろう。
TAKE ONE
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驚異的な美意識を持った作品
Cine-Vue
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ペドロ・コスタのパワフルで荘厳な最新作
The List
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ペドロ・コスタの映画はよく見ている。
彼は特別な才能を持つ監督だ。マノエル・ド・オリヴェイラ(映画監督)
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ペドロ・コスタのように、フリッツ・ラングや溝口のような画面を撮れる人は他にいない。
ジャン=マリー・ストローブ(映画監督)
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コスタは本当に偉大だと思う。
彼の映画は美しく強力だ。ジャック・リベット(映画監督)