監督のことば
扎賚諾爾/ジャライノール(モンゴル語で“海のような湖”の意味)は、内モンゴル自治区満州里にある、炭鉱の町。中国の最北端に位置し、ロシアと国境を接するジャライノールは、露天堀り炭鉱(露天鉱)として100年以上の歴史をもち、現役の蒸気機関車が見られる珍しい場所だ。
100年間の乱掘は、鉱山に巨大な穴を作りだし、そこには、ひっきりなしに蒸気機関車の音が響く。しかし、この“大きな坑”は、ほとんど枯渇していて、蒸気機関車の役目も終わり、大量の炭鉱労働者たちは、解雇の危機に立たされている。
この映画のアイディアは、中国の古いことわざからきている。“送君千里,終須一別” (君を千里送るとも、終には須く別すべし)。
趙曄(チャオ・イエ)
1979年北京生まれ。2004年、北京電影学院アニメーション学科卒業。2004年の短編アニメーション『採薇』が初監督作品。長編デビュー作『馬烏甲(マー・ウージャ)』(07)は、第4回中国独立影像年度展で、最優秀賞を受賞。
2008年に完成した2作目の長編『ジャライノール』は第13回釜山国際映画祭にて、国際批評家連盟賞(FIPRESCI Prize)を受賞。その他バンクーバー国際映画祭、ロッテルダム国際映画祭、アデレード映画祭等に出品された。『馬烏甲』と『ジャライノール』は2008年と2009年に東京で開催された中国インディペンデント映画祭でそれぞれ上映され、好評を博した。
また、映画監督・河瀬直美氏が立ち上げた「なら国際映画祭」の「NARAtiveプロジェクト」(地域活性化・人材育成を目的に奈良県下をロケ地にした映画を製作するプロジェクト)で、桃井かおり主演『光男の栗』を監督し、2010年8月に開催された「なら国際映画祭」でプレミア上映され、絶賛された。
フィルモグラフィー
- 『採薇』(2004/短編)
- 『馬烏甲』(2007)
- 『ジャライノール』(2008)
- 『光男の栗』(2010)
チャオ・イエ監督インタビュー
この映画を撮るきっかけは?
“送君千里,終須一別” (君を千里送るとも、終には須く別すべし)という中国でなら誰でも知っている古いことわざが2000年頃に急に頭に浮かんだんです、理由はわかりませんが。そしてこのことわざの意味を探りたくなったんです。それでストーリーを作り始めました。
映画の舞台となるジャライノール炭鉱を選んだ理由は?
テレビや新聞で蒸気機関車が次々と廃止されるニュースを見聞きしていて、昔から使われてきた機関車が次々と廃止されるのはもったいないと思ったんです。そしてここに物語があったら美しいと思ったんです。それもシンプルなストーリーが相応しいと思いました。
ジャライノール炭鉱は100年以上にわたって採掘が行われているところです。日常使う燃料も石炭から電気にかわって炭鉱自体も消えつつある。この映画では2人の主人公の関係性と気持ち・感情を伝えたいと思ったと同時に、その場所や土地と、時代との別れも描きたかったんです。2010年には蒸気機関車はすべて廃止されると聞いています。偶然ですが、この映画でその最後の姿を残せました。
映画の登場人物は2人の主人公以外はすべて現地の人たちです。地元の人たちはすごく協力的でした。炭鉱で働くモンゴル人は全体の10%ほどです。炭鉱労働者のほとんどは漢族です。
主人公の2人は俳優ですか
2人とも素人です。全く映画とは関わりのない人ですね(笑)。李治中(リー・ジーチョン)は古くからの僕の友人です。朱老(ジュー・ヨウシアン)を演じた老人は、リー・ジーチョンの家に遊びに行ったら、そこにリーのおじさんがいたんです。この人こそ老人役にぴったりだと感じて出演を依頼しました。
僕は演技指導はしません。その人ありのままでそこに居てもらえたらいい。撮影場所を選ぶ時も直感を大事にしています。この映画は「人の感情や心情」がテーマとなっています。人間模様、人と人との関係性を描きたいと思いました。
アニメーション学科から映画を撮ることになったのはどうしてですか
アニメーション学科に入ったのは、北京電影学院でそこの学科しか募集していなかったからなんです。毎年どこの学科も募集があるわけではないんです。ただ、僕はアニメというよりもマンガ家になりたかった。日本のマンガが大好きで、高橋留美子さんや鳥山明さん・・・特に高橋留美子さんの「めぞん一刻」は大好きです。人々の人情を描くという部分で僕の描きたいテーマと共通していると思います。当初は映画と距離があったんですが、学校に入ってたくさんの映画を見て衝撃を受けました。それで、自分でも映画を撮ってみようと思い始めました。
僕は映画を撮る前に絵コンテを用意します。自分の描きたいイメージを画にしてみます。それはマンガからの影響かわかりませんが。
(2010年8月来日時のインタビューから構成)