ジャライノールとは
ジャライノールと言う地名はこの地にある中国5番目の大きな淡水湖ダライ湖(達賚諾爾=ダライノール、モンゴル語で海のような湖の意、ホロン湖とも呼ばれる)に由来するもので、1901年に東清鉄道(ロシア帝国が黒龍江省に建設した鉄道路線で、満洲里ー哈爾濱—綏芬河を結ぶ)がここに鉄道駅を作るとき、ダとジャとを聞き間違えて駅名を定めたため、炭鉱や街の名はジャライノールと呼ばれるようになった。
東清鉄道沿線は治外法権地域としてロシアが主権を行使しロシアの行政府がおかれロシアの法律、通貨が使われていた。この状況はロシア革命で帝政ロシアが倒されソ連になっても変わらなかった。1932年に満州国が成立後、日本はソ連から東清鉄道及びジャライノール炭鉱を買収し、炭鉱に関しては、満洲炭鉱株式会社に経営を委託した(1941年にジャライノール炭鉱株式会社として、満炭から独立)。ジャライノール炭鉱の用途はロシア時代から専ら機関車燃料用であった。
満州国の1936年統計ではジャライノールの総人口3870人で内日本人は129人であった。中国人3223人、ロシア人467人、その他51人となっておりその他の中にはギリシア人やポーランド人も含まれている。当時この地には構内掘り13ヶ所、露天掘り1ヶ所の採炭所があった。
日本敗戦後、完全に中国の炭鉱になったのは、1953年以降である。国の厚い保護により、構内掘り16ヶ所、露店掘り3ヶ所の採炭所を有する内モンゴルでトップクラスの炭鉱となった。しかし1990年代の市場経済への移行のなかで、経営が悪化、多くの採炭所の閉鎖を余儀なくされ、2006年には電力会社に買収され、新たに出発するに至った。
中国・内モンゴル自治区ジャライノールにある石炭鉱山では、いつもたくさんの白い煙が上がり。何両もの蒸気機関車が石炭を運んでいた。この鉱山では石炭の運搬に蒸気機関車を使用していた。 世界中のSLファンに「最後の聖地」と呼ばれる中国、内モンゴル自治区のジャライノール(Jalainur)。しかし、コスト面などの問題から現在はトラックやディーゼル機関車への移行が進んでいる。