ペドロ・コスタ / インタビュー
『ホース・マネー』の出発点は、ヴェントゥーラが語ってくれた話にある。
1974年にポルトガルでカーネーション革命が起きたとき、私たちは同じ場所にいた。
幸運にも私は若き少年として革命に飛び込み、そこで音楽、政治、映画、女の子たち、こうしたものすべてを同時に発見し経験することができた。私は幸せだった。路上で声を上げ、学校や工場の占拠に加わった。
13歳だったし、そのために私の目は曇っていた。
友人のヴェントゥーラが同じ場所で涙にくれ、恐怖に苛まれながら、移民局から身を隠していたことを理解するのに、30年もかかってしまった。
長く深い眠りに落ちていったその場所、彼が「牢獄」と呼ぶもののなかで過ごした時間の記憶を、ヴェントゥーラは語ってくれた。
これ以上は言えない。すべては映画のなかにある。
撮影は荒れ、私たちはよく震えていた。ヴェントゥーラは必死に思い出そうとしているが、これが最良のものとは限らない。だから私たちは、忘れるためにこの映画を作ったのだと思う。
本当に忘れるために。それと決別するために。
(山形国際ドキュメンタリー映画祭2015カタログより)
インタビュー
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- 当初の構想ではより音楽に焦点を当てた映画となる予定であったと伺いました。
その内容は本作『ホース・マネー』にも受け継がれているのでしょうか? - ギル・スコット=ヘロンという有名なミュージシャンがいますが、最初は彼と共同作業をして映画を作りたいという欲望だけがありました。当初は歌と台詞のある、一、二時間の、ある種の巨大な音楽であり祈りのような作品をつくる予定でした。その痕跡は最終的に出来上がった本作にも残っているような気がします。例えばこの映画が展開する場所の人々が次々と映るモンタージュ、歌そのもの、特にエレベーターのシーンで二人の後ろから様々な人物の声が聞こえてくるところなどがそうでしょう。
- 各シーンは時系列に沿っておらず、まるでヴェントゥーラの記憶がランダムに蘇ってくるように配列されていましたがそのような意図はありましたか?
- まさにそうだと思います。本作の撮影はエレベーターのシーンから始まったのですが、そのときに彼の話が直線的ではなく前に行ったり後に行ったりすることに気が付き、この映画の旅路というのもそうあるべきなのではないかと思ったのです。例えばそれはSF映画に見られる時間の中を旅するような感覚です。映画ほどこういった表現に向いた媒体はないと思うのです。なぜなら過去を舞台としているかのような映画であっても、そこに映っているのは常に現代であるからです。溝口はものすごく頭のいい人だからそれをわかっていて、一見過去を映しているように見せつつも、彼の『西鶴一代女』でのお春は現代の女であり、どの時代にあっても苦しみながら旅を続ける女なのです。
また、文学や絵画においては時間に対してより自由で複雑な接し方が行われているのに対して、映画は現代に至っても非常に直線的な、単純化されすぎた時間にとらわれているように感じます。時間は悲劇的です。私たちは過去に記憶を持ち、その一方で未来に計画をたてることも出来ますが、そのすべてには終わりがあるのです。そしてその終わりとはけっしてドラマチックではなく、悲劇的なのです。 - 映画の中で人々を悲劇から救うことはできないのでしょうか?ある意味でヴェントゥーラは、監督に撮られることによって少し救われたのではないかと感じました。
- 私自身はとても悲観的な人間なので、映画や芸術は人々、特に最も苦しんでいる人々に対して何も出来ないとつい思ってしまいます。しかしそう言ってしまうことは小津、溝口、チャップリンを攻撃することになる。私は彼らを批判したくありません。なぜなら彼らはそれをやり遂げたからです。人々は彼らの映画の中でとても美しい。勇敢で、傷つき、強く、弱い、これこそが人々なのです。現代の子供達にとってもチャップリンの映画は通用しますので、そういう意味ではきっと希望はあるのだと思います。
- タイトルについて教えて頂けますか?
- 実はものすごく簡単な話で、ヴェントゥーラが昔飼っていた馬の名前が「お金」だっただけです。「お金」というのは我々の社会が発明した最も邪悪なものだと思ってしまいますが、一方で彼のように社会の片隅に追いやられてそこから出たいと思っている人々にとっては光り輝く夢のようなものに聞こえるのかもしれません。この映画のタイトルに「マネー」という単語を使うことで、我々の思っている醜い物としての意味合いからもっと違った響きに感じさせられないかと思ったのです。
山形国際ドキュメンタリー映画祭2015 デイリーニュースより
(採録・構成:稲垣晴夏、インタビュアー:稲垣晴夏、川島翔一朗、通訳:藤原敏史) - 当初の構想ではより音楽に焦点を当てた映画となる予定であったと伺いました。
ペドロ・コスタ Pedro Costa
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1959年ポルトガルのリスボン生まれ。リスボン大学で歴史と文学を専攻。青年時代には、ロックに傾倒し、パンクロックのバンドに参加する。リスボン映画国立映画学校に学び、詩人・映画監督のアントニオ・レイスに師事。ジョアン・ボテリョ、ジョルジュ・シルヴァ・メロらの作品に助監督として参加。1987年に短編『Cartas a Julia(ジュリアへの手紙)』を監督。1989年長編劇映画第1作『血』を発表。第一作にしてヴェネチア国際映画祭でワールド・プレミア上映された。以後、カーボ・ヴェルデで撮影した長編第2作『溶岩の家』(1994、カンヌ国際映画祭ある視点部門出品)、『骨』(1997)でポルトガルを代表する監督のひとりとして世界的に注目される。その後、少人数のスタッフにより、『骨』の舞台になったリスボンのスラム街フォンタイーニャス地区で、ヴァンダ・ドゥアルテとその家族を2年間にわたって撮影し、『ヴァンダの部屋』(2000)を発表、ロカルノ国際映画祭や山形国際ドキュメンタリー映画祭で受賞した後、日本で初めて劇場公開され、特集上映も行われた。『映画作家ストローブ=ユイレ あなたの微笑みはどこに隠れたの?』(2001)の後、『コロッサル・ユース』(2006)は、『ヴァンダの部屋』に続いてフォンタイーニャス地区にいた人々を撮り、カンヌ映画祭コンペティション部門ほか世界各地の映画祭で上映され、高い評価を受けた。山形国際ドキュメンタリー映画祭2007に審査員として参加。2009年にはフランス人女優ジャンヌ・バリバールの音楽活動を記録した『何も変えてはならない』を発表。また、マノエル・ド・オリヴェイラ、アキ・カウリスマキ、ビクトル・エリセらとともにオムニバス作品『ポルトガル、ここに誕生す〜ギマランイス歴史地区』(2012)の一篇『スウィート・エクソシスト』を監督している。最新作である本作『ホース・マネー』は、2015年山形国際ドキュメンタリー映画際でグランプリにあたる大賞、2014年ロカルノ国際映画祭で最優秀監督賞を受賞した。2015年にはニューヨークのリンカーンセンターでレトロスペクティブが開催された。
- フィルモグラフィー
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- 『ジュリアへの手紙』Cartas a julia(1987年)短編
- 『血』 (1989年)
- 『溶岩の家』 (1994年)
- 『骨』(1997年)
- 『ヴァンダの部屋』(2000年)
- 『映画作家ストローブ=ユイレ あなたの微笑みはどこに隠れたの?』(2001年)
- 『六つのバガテル』(2002年) 短編
- 『コロッサル・ユース』 (2006年)
- 『うさぎ狩り』(2007年) オムニバス作品「メモリーズ」の一篇
- 『タラファル』(2007年) オムニバス作品「世界の現状」の一篇
- 『何も変えてはならない』 (2009年) -
- 『スウィート・エクソシスト』(2012年)オムニバス作品「ポルトガル、ここに誕生す〜ギマランイス歴史地区」の一篇
- 『ホース・マネー』(2014年)