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蓮實重彦

ロバート・クレイマーについて

ロバート・クレイマーもまた、アメリカ人でありながら、過去20年間のほとんどをヨーロッパで暮らした。その間、ドキュメンタリーとフィクションを交互に撮り、『エッジ』『アイス』など60年代後半に鋭い作品を何本も撮っている。

ロバート・クレイマーを見ていると、亡命さえもが贅沢品と思えるような孤立無援を現代の映画作家たちはかかえこんでいるのかもしれないと思われてくる。

「映画巡礼」(1993年 マガジンハウス刊)より抜粋

エリカ・クレイマー

繋がらない運なり/コミュニケーション

ある夜、ロパー卜と二人で星を見ている時、私はある星に魅了されました。彼に示そうとしましたが、あの時私達は決して同じ星を共有できなかった。

でも何も壊れなかったのです。
人生とはそういうもの。共有できないことを共有する、コミュニケーシヨンはそういうものだと思います。

道標としての『マイルストーンズ』

ロバートが 『マイルストーンズ』 で伝えようとしたのはそういうことです。

あの頃の私達、『アイス』以後の私達は、破壊することに飽き、自分を再構築しようとしていた。一人一人が自分の生活を取り戻そうと試みていた。銃をおき、今度は国家についてではなく、自分自身に向けて革新的な問いを発し始めたのです。

ロバートは分断された自分と世界を一つの流れに繋げることができるか、という問いを発し、観る者を揺さぶろうとします。イメージや情報で善悪の判断を押し付けることはありません。

この映画は、登場人物と同じ世代の曰本の若い人たちが観ても、共感できるでしょう。これは歴史ではなく、普遍的な、生きている道具なのです。今、ここで、自分を見つめるための、自由な探求への道標です。
ロバートは 「プロセス」の冒険者だったのです。

「自分」 と 「直感」を巡る冒険へ

自分を知るためには、直感を大事にしなくてはいけません。

私達の感覚には、匂いや、 触感、音、ありとあらゆる情報が届く。 誰もが同じ情報をインプットされるけれど、受け取り方はそれぞれです。

直感というのは、全ての情報は真実だと受け入れ、全ての人は特別だと感じること。
情報は、成長への正しく、美しい道を指す標識です。

自分の内なる声、直感に、心を透明にして耳を傾けることができれば、自分の場所が見つかるはず。決して簡単ではありませんが、困難を乗り越えることによって私達は自分の限界から自由になることがきっとできるでしょう。

皆さんに、『マイルストーンズ』と対話し、ロバートを通じて、自分自身を見つめて欲しいと思います。

(山形国際ドキュメンタリー映画祭2001デイリーニュース10/6号より)
※ロバート・クレイマー亡きあと、山形国際ドキュメンタリー映画祭2001の「ロバート・クレイマー特集」の際の、ロバート・クレイマーのパートナー、エリカ・クレイマーによる挨拶より