映画「何も変えてはならない」公式サイト - Jeanne Balibar


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1968年パリ生まれ。哲学者の父エティエンヌと物理学者の母フランソワーズの間に生まれる。フロラン演劇学校、次いで国立演劇学校で学び、1993年、アヴィニョン演劇祭でのモリエール「ドン・ジュアン」の舞台での演技が賞賛され、コメディー・フランセーズに加入、(1997年に脱退)。

『魂を救え!』(1992 アルノー・デプレシャン)で映画に初出演し、続く『そして僕は恋をする』(1996 デプレシャン)でミステリアスなヒロインを好演する。デプレシャン作品の後、オリヴィエ・アサイヤス、ジャン=クロード・ビエット、マチュー・アマルリック、ブノワ・ジャコらの作品に次々と出演し、フランスの作家主義的な映画作家のミューズとして欠かせない存在になる。また『神のみぞ知る』(1998 ブリュノ・ポダリデス)に見られるように、シリアスな役だけでなく、コミカルな役も得意とする。近年はジャック・リヴェットやラウル・ルイスら巨匠の作品にも出演し、国際的な注目を集める。

また2003年に「Paramour」を発表し、歌手デビューを果たす。最新作は、自身の音楽活動を記録した『何も変えてはならない』(2009 ペドロ・コスタ)

メッセージ

 わたしが音楽活動をしているのは、音楽を聴くのが大好きだし、歌うのも大好きだからです。また、それはわたしが自分のお気に入りの女性ヴォーカルを聴いていると、同じことがしたくなるからでもあります。

ルイ・ジュヴェによると、俳優というものは、サル・プレイエルで演奏するハイフェッツを聴いて、耳をそちらに向けながらも自分が代わりに弾いているかのように想像してしまう、ちょっとおかしな人種なのです。こうした性向がわたしの音楽活動の支点、というより出発点となって、オペラやリート、マリリン・モンローにブロッサム・ディアリー、クルト・ヴァイル、歌も演技もこなすドイツの女優たち、アレサ・フランクリン、パティ・スミス、ブロンディ、ニコ、そしてモーリン・タッカーといったものを聴いてきたわけです。

 わたしはまた、和音という観念が提起するものにも惹かれています。ひとつの和音、協和しあう複数の音を見つけること、騎士道精神あふれる申し出によって和解すること、他者とうまく調和すること、事物をそれ自身と一致させることがここで問題となっているのです。
思いつきですが、登場人物どうしの死を賭した戦いなしではすまされず、どうしたって演者に絶え間ない敵対関係を強いる映画や演劇とちがって、わたしの活動のなかでも音楽だけは、必ずしも対立を配さなくてもいいのではないでしょうか。音楽にはユニゾンというものがありますし、またハーモニー、可能ならシンコペーション(緊張を緩和させるもうひとつのやりかたです)も使えるので、ここではひとびとが本当に手を取り合いつつ、肩を並べて歩いていけるように思えます。
わたしはそこに、あるひとつの自由の形態、それもまたひとつの闘争なのだとしても、敵対関係を経ることのない自由の形態を見ているのです。わたしがたえず音楽に求めているのは、放任されるということです。わたしが音楽をすることのなかには、〔身を任せつつ自由であるという〕ありそうもない放任の約束がつねに含まれているのです。もしかしたらそれは、子供が大人の愛情や視線、気配りに囲まれながら(音楽ではリズムやメロディ、ハーモニーがそれに当たります)母親の手を離し、漠たる世界へひとり歩き出す、そんな自由な精神、自由な身体のことなのかもしれません。

「水流にのったコルク栓のようだ」とは、たしかオーソン・ウェルズがジャンヌ・モローに別のことについて語った言葉です。変に思われるでしょうが、わたしはいつも、映画に出演するということは、自分が生まれたばかりの頃に戻ることなのだと思っていました。産着にくるまれ、服も髪も他人任せ、ずっとそばで見守られている、そんな状態だと。それに対して舞台で演じるときには、はじめて言葉を発する歓びをおぼえた頃へと回帰しています。とすれば、歌うということはわたしにとって、最初に足を踏み出して歩いた興奮――話もできず、泳いだこともない頃の――を、物心がついたあともいつまでも辿り直している、そんな状態なのだと言えるのかもしれません。

——ジャンヌ・バリバール 2009年4月26日
(フランス語版プレス・リリースより転載)