現実とは残酷な鏡に似ている。現実の世界では、人は不合理にも打開不可能な状況に身を置くことがあるが、その状況と闘うべくすべての力を奮い起こした時、それが突然、煙のように消えていくこともある。
幸運にも、私たちは時に、現実の中に暖かさを見つけることがある。その暖かさがあるために、人は息をつき、人生という旅を続けていけるのだ。
ドキュメンタリーとは、追憶、記憶、夢、フィクション、そして真実にほかならない。つまり人間の生命そのものなのだ。
呉乙峰(ウー・イフォン)
(「山形国際ドキュメンタリー映画祭2003 公式カタログ」より)
われわれが強い感銘を受けたのは、突然地震という致命的な自然災害の被害を受けた人々の意識に何千年もの間に培われた哲学が再び噴出し、蘇ってくる感覚をこの現代映画が感じさせたことである。不在なるもの、消失してしまった家、家族、持ち物、被災者らがその現実に向き合い、どうやってこれから生きていくかを彼らが学ぶ中、死者が夢の中に現れ、生き残ったものに語りかける、目に見えない力のリアルな圧力をそこに感じるのである。
またこの映画の「音楽性」にも敬意を表したい。重層に組み込まれた幅のある構造が喪の過程における被災者たちの感情の起伏を適切なリズムで我々に伝える。生への回帰、生の回帰についての希望を感じさせる映画である。
山形国際ドキュメンタリー映画祭2003 審査員講評