髙嶺剛 Takamine Go
1948年沖縄の石垣島川平生まれ。
高校卒業まで那覇で過ごしたあと、国費留学生として京都教育大学特修美術科に入学。その頃から8ミリ映画を撮り始める。
ジョナス・メカスを私淑し、日本復帰前後の沖縄の風景を凝視した初長編監督作品『オキナワン ドリーム ショー』(1974)を制作する。1985年初の長編劇映画『パラダイスビュー』完成。ベルリン国際映画祭ヤングフォーラム部門をはじめ、10数カ国の映画祭に出品。
『ウンタマギルー』(1989)でベルリン国際映画祭カリガリ賞、ナント三大陸映画祭グランプリ、ハワイ国際映画祭グランプリ、日本映画監督新人賞など国内外の映画祭で多数上映、受賞し、全編沖縄語で展開される新しい表現を生みだした作家として世界的に注目される。
1996年よりジョナス・メカスの来沖がきっかけとなり生まれた『私的撮夢幻琉球 J・M』を発表。1998年には沖縄を代表する民謡歌手の大城美佐子を主演に迎え、『夢幻琉球・つるヘンリー』を市民プロデューサーシステムでデジタル撮影をいち早く取り入れて製作、東京国際映画祭、ロッテルダム国際映画祭、香港映画祭などで上映。ほかにも短編多数制作。
山形国際ドキュメンタリー映画祭2003に審査員として参加、沖縄特集でも「髙嶺剛の世界」として特集される。2006年には、NYのアンソロジー・フィルム・アーカイブにて、「Dream Show: The Films of Takamine Go」レトロスペクティブが開催された。本作『変魚路』は、18年振りの劇映画作品となる。
フィルモグラフィー
- 『サシングヮー』1973年/10分/8mm
- 『オキナワン ドリーム ショー』1974年/180分/8mm
- 『サシングヮー(16mm版)』1975年/15 分/16mm
- 『オキナワン チルダイ』1978年/75 min/16mm
- 『ワイルド ウーマク オキナワン コンディショングリーン』1979年/27分/ビデオ
- 『オキナワン チルダイ〈特別版〉』1980年/78分/ビデオ
- 『V・O・H・R ― 人間関係の眺め』1982年/15分/16mm
- 『パラダイスビュー』1985年/113分/35mm(16mmブローアップ)
- 『パラダイスビュー〈特別版〉』1986年/123分/ビデオ
- 『ウンタマギルー』1989年/120分/35mm
- 『石にサシングヮー』1992年/3分/16mm
- 『嘉手苅林昌 唄と語り』1994年/59分/ビデオ
- 『A・S・O・P(シューリー・チェンの場合)』/1994年/50分/ビデオ
- 『私的撮夢幻琉球 J・M』1996年/60分/ビデオ
- 『夢幻琉球・つるヘンリー』1998年/90分
- 『夢幻琉球・オキナワ島唄パリの空に響く』2003年/60分(NHK BS放映)
- 『大城美佐子 唄語れぇ』2007年62分/ビデオ
- 『パペット シャーマン スター』2008年/35分/ビデオ
監督のメッセージ
映画『変魚路』のウチナー口監修の北村三郎さんから「むどぅるちゅん(思考停止状態)」という言葉を教えてもらった。私は「頭がカラになる」と意訳して、それをキーワードに、撮影場所を沖縄に限定して、一生懸命デジタル映画の作業をした。
2013年から撮影と編集をほぼ並行して行った。あらかじめ用意された内容を、役者さんやスタッフに、それぞれ思うように解釈してもらい、それに私が手を加えた。
今回のデジタル映画は作業が作業を生んでいくので、各作業の見直しは、自分の頭の見直し作業でもある。そのようなことを3年の間繰り返して映画は完成した。
私は、沖縄で映画をつくる時に踏まえておくべき様々な約束事—-言葉・時間・場所・記憶・歴史・風俗・文化・世相・物・人間関係・話のスジ、それらを統一してそのままなぞることは、なるべく避けた。
私は、いまここにしかない沖縄の空気を描くことに挑戦した。たとえば、即興鼻唄を唄いながら路地裏を歩くタルガニ(平良進)、海辺で島唄「下千鳥」を唄うカメ(大城美佐子)などがかもし出す、風景に漂う“地の匂い”をカメラが忠実に吸いとることを願った。