6)会場からのQ&A 「中国におけるインディペンデント映画とは?」
質問:先ほどからインディペンデント映画という言葉を使われているんですけれど、その定義を教えていただけたらと思います。例えば作家さんであるならば、インディペンデントという言葉を使う時に弊害にならないかとか、作家性のようなものでインディペンデントという言葉を使っているのかどうかとか。
王兵:インディペンデントといったら、それはまず思考の独立それだけだと思います。それが唯一の基準であって、その他の問題意識だとか、そういった制作など様々な問題はそれに比べたら小さなものだと思います。
張亜璇:私は映画評論家の立場として一言言わせてください。インディペンデント映画というのは私の理解では国の主流となっている映画生産システム、映画制作システムに乗っかっていない映画のことをインディペンデント映画というふうに理解するのが一般的だと思います。主流の映画制作制度というのは何かというと、80年代まででしたら、中国国有、国営の映画制作所になるのですけれど、現在は検閲制度、この検閲に通っている作品、つまり制作許可証を得ているような作品が主流であって、それ以外のものを独立したインディペンデント映画と考えています。それとは別に中国のインディペンデント映画に対しては、また期待があります。その期待が先ほどから話題になっている、独立した思考、独立した精神というものです。中国というこの文脈の中においては独立、インディペンデント、インディペンデンスという言葉が持つ意味には政治的な束縛を逃れられないという側面があります。
私個人的にはこのインディペンデント映画というのは非常に尊重していますし、非常に重要なものだと思っています。そうでなければ私は卒業後こういったことに携わってはいないと思います。この独立した精神ということを言う時、私はこの10年くらいインディペンデント映画を追ってきているわけですけれど、それはこの白いスクリーンに例えられるようなものではなく、その実際の個々の作品の10年の発展の中で見ていった時に、どれほど独立した精神が表れているかというのは、やはり議論するべき余地があることだと思います。一部のインディペンデント作家の中には、主流のシステムの中に入りたいという動機でやっている人もいます。このインディペンデント映画を考える時に、同時に自分自身に問いかけていくことが必要なことだと思っています。私個人的には独立、インディペンデンスというものが持っているものは、体制システム内に入りたいと思ってはならないものだと思います。自分の中でちゃんと自立していかなければならないものだと思っています。インディペンデント映画制作というものは主流に取って代わるものでもないし、主流の代わりに発言するべき存在でもないと思います。これは現在置かれている中国の非常に厳しい環境の中で、なかなか成し遂げることができない課題でもあると思います。ありがとうございました。
楊昆:その独立っていう言葉ですが、独立、インディペンデンスということを学術的にあるいは文化的にこうであると定義することはできることかもしれません。ただ中国の現実の文脈に置いた時に、独立という語はもともとインディペンデントという英語の翻訳語なんですね。それを独立と書いて言っています。その独立と言った時には、おのずと排除されている人がいるのです。それはいわゆる民間、あるいは村民、そういった存在が排除されているという側面が一つ言えると思います。また私たちはこうやって山形に来ていますので、皆さん非常にリラックスして語っていますけれど、でも、私たちがまた中国に帰って現実に戻れば、その現実の中で処理しなければいけない問題というのは様々あるわけです。私たちの作品というのは中国の観客に依存している、独立に対して依存という現実があるのです。観客に依存しているというのは、私たちはそこにある中国というものを撮っています。そこの中国における生というものを撮っているのですから、またその撮影対象、作品そのものも中国に依存しているわけです。ありがとうございます。
<了>