5)文化の崩壊? 分化? ドキュメンタリーを巡る中国文化論議
郭浄:先ほど他の方が言った問題は非常に重要な問題だと思いますので、そのことについて。まず中国におけるインディペンデント・ドキュメンタリーの制作というのは、制作もそうですし、また上映の面でも大きな困難を抱えているという現実がもちろんあります。そしてまた、そういった現実を抱えながら、そういった現実の中で今この人たちがここにいるということは非常に稀なことで、非常に貴重なことだと思っています。
この山形、あるいは私たちのYUNFESTで上映される中国のインディペンデント・ドキュメンタリーの映画を一言で単純化して言えば、ホームムービーの類だと思われます。全て自分の単独でカメラを持って周囲の親しい人を撮っているんです。それはなぜかといいますと、こういった環境、大きな環境で大きな問題を撮るということはできないので、こうやって今身近な人を撮ることから始めて撮っているということが現状としてあります。そして私たちは一詩人としてわたくしの人として作品を撮っているのですね。これは政府関係などというものとは違います。
韓国の方で「中国は80年代から現在にかけて非常に急速な経済発展を遂げた。そして経済発展を遂げたそのスピードの背景で、文化が同じように急速なスピードで崩壊している」というふうに言った人がいます。本当にこの十数年というもの、大きな経済発展をとげたその代価として、文化的な崩壊をまざまざと経験している。そういった環境の中で、人々がどのような心理状態に置かれるか、心もまた精神もまた崩壊している。そういった精神的な崩壊というものが全ての中国人に刻まれていて実際のインディペンデント作品の中にもそれが多かれ少なかれ現れていると思うんですね。とりわけここにいる胡新宇監督の作品などにそれが色濃く表れているのではないでしょうか。ですから私たちのYUNFESTでも彼が受賞しましたし、またこの山形で上映されることになったということも、そういったことと関係があるのではないでしょうか。
このドキュメンタリーの制作者、またそれを背後で組織しているこういった関係者、全てがこういった崩壊の中で同時に建設しているのです。これは崩壊がまずありき、その後建設とかそういうことではなくて、その崩壊と建設とが同時に起こっている。これが今の中国の状況だと思います。どうもありがとうございました。
王兵:まず先ほどの郭浄先生のご発言の中の中国の文化が今崩壊に直面しているという発言でしたけれど、私個人としてはそうは思っていません。その文化が崩壊しているとか、あるいはそれを再建する、そういったこと言葉では語りえないことだと思っています。今中国にインディペンデント・フィルムというものが存在し、また多くの人がそこに参加するというのはそこには社会的な背景があります。というのは、90年代以来、インディペンデント映画だけではなく、あらゆる側面においてもインディペンデンス、つまり独立性というものが確立され始めた時代だったんです。そしてこのインディペンデント・ドキュメンタリー映画というのはあらゆる文化の領域において出てきた独立性、独立した動き、独立した思考だと思っています。
とりわけ90年代から中国の文化界が分化していったことと関係があります。その分化した結果として多くの部分は主流イデオロギーに向かっていって、そしてそれ以外の部分は文化そのものに回帰していったと思います。これが80年代から現在にかけて分化が進んでいく、その中で独立した動き、独立した文化が出てきたと思います。その独立した文化というのは、人間が今ある現実をどのように判断し、どのように見るかというのに反映されていきます。中国が1949年に解放されてから、80年代までこの独立性が次第に底流として培われましたが、それは非常に緩慢なものでした。それが90年代になって急速に目に見える形で現れてきたと思います。こういう価値体系が現在の中国の文化に大きな影響を与えるものだと思います。この90年代に生まれた独立した思考、こういったものをどのように存続させ、どのように文化の主流の中に位置づけていくかが一つの大きな挑戦だと思っています。
いずれにしても、大きな変化をもたらすことは学術的に後からああだこうだというものよりも、現実的、必然的なものとしてあると思います。もしかして私たちの中国ドキュメンタリーというのは見たところ、まだ荒っぽいところがあるかもしれません。まだアマチュアのように見えるかもしれません。周囲の生活を撮っている、限られた素材を撮っているというふうに見えるかもしれません。でも、私はそれこそが、私たちが今ここに生きているこの土地、この現実、この国というものを見ていく、基礎になる姿勢だと思います。それこそが非常に重要であって、これが本当の真実を映そうとしている姿勢だと思っています。