4)創作の現場 監督たちの声
司会:監督たちに自己紹介と作品についてお話をお伺いしたいと思います。
馮艶(フォン・イェン、『秉愛』監督):ドキュメンタリーを作る者として、YIDFFは私にとってゆかりのある場所です。93年、私がまだ京都大学で留学生をしていた時に友人に誘われて山形に映画を観にきました。それまでにあまりドキュメンタリーを観たことがなかった私がドキュメンタリーの魅力に魅せられて、94年から自分で撮るようになったんです。それで私の初めての長編ドキュメンタリー『長江の夢』は97年にアジア千波万波で上映されました。今回の『秉愛』は私の第2作目の長編です。今作っているのは同じ背景にある、長江の三峡ダムがバックグラウンドにある4人の女性のストーリーです。4人の年齢も立場も選択も違った女性がこの10年間の生活の軌跡を描いている作品になりますが、だいたい編集が終わり、帰ったら最後の撮影に行って映画が完成することになると思います。以上です。
黄文海(ファン・ウェンハイ、『夢遊』監督):私は2001年に中国であったインディペンデント・ドキュメンタリー映画祭を観まして、そこでドキュメンタリー・フィルムを自分で撮りたいと思いました。中国の体制の中で個人の声を上げるということが非常に重要だと思ったわけです。そして私は既に3つのシリーズの作品を制作していまして、今はその3つ目を作っているところですが(2つ目が『夢遊』)、他には劇映画のプロデュースもしています。
王兵(ワン・ビン、『鉄西区』『鳳鳴』監督):私は制作者として、中国という環境の中でドキュメンタリーを作ること、そしてまた方向性について少し話したいと思います。私は99年から監督としてこの世界に入ってきているわけですけれども、99年に『鉄西区』を撮り、そして今回出品している『鳳鳴─中国の記憶』という作品を作っています。制作している中で私自身の映画に対する感覚ですとか、自分がなぜ撮っているのか、そしてまた中国という現実の中で個人の声を発するというのはどういうことなのかということを考えていかざるを得ないわけです。しかし制作する中で様々な障害、色々な方面の障害があるわけです。その中でもちろん主流イデオロギーというものが厳然としてあるわけですから、それは必然的に向き合わなければいけないのが現実です。もう1つの抑圧というのが学術界から来るものです。3点目はインディペンデント制作の中にある問題です。そのインディペンデント映画を作る環境の中に存在する問題です。
まず1つ目のイデオロギーについてですけれども、それはそこに存在するもので私たちが個人的に解決できるものではないのです。そして2つ目は学術界の研究者の世界から来る声なのですが、それは映画というものをどうように評価するか、どういう基準で観ているのか、どういうスタイルで観るのか、何を言うのかが出てきますが、それは私を非常に失望させるものです。多くの言説は映画の文脈から出てくるものではなく、むしろ社会学的な視点から論述されているものが多いのですね。こういったものがずっと存続していく限り、映画評論に対する未来を私は疑わざるを得ません。そしてインディペンデント映画制作そのものに関しての環境に関わる圧力ですが、現在中国は非常に文化界が混乱していると思います。ちゃんとした特定の価値を持ち得ない時代です。そういった混乱した中にあって、長い視野を持った、いかに文化を築いていくかという視野を持った分析、そういった態度、そしてそれをクリアに見ていくことができにくい時代です。10年間ぐらい経済発展がありますけれど、経済という価値基準自体が、インディペンデント制作にもたらす様々な影響というものが避けられない状況にあります。
今後インディペンデント・フィルムを作っていく際に、監督はもちろん個人としてどういうものを制作するかということですが、その時に監督個人の価値がどれだけ尊重されていくか、自分の作品に対してその人がどれだけ尊重しながらやっていくのかということが重要になっていくと思います。支えてくれる周囲の団体ですとか個人がいかにバックアップしていけるのか、ということが非常に重要な課題になっていくと思います。私が監督として言いたいのは、このインディペンデントを制作している人たちは非常に弱小な、弱い小さい一部の人たちです。そこにはそれを守っていかなくちゃいけないという態度が当然必要になってきます。私たちが共同でこの自分たちの集団を守り、またこの比較的劣悪な環境の中で生存し続けていくために何ができるのか、その中で独立したものを作りだすことを可能にするために何をするのか、どういった可能性があるのかということを、皆で協同して考えていかなければならないと思います。
胡新宇(フー・シンユィ、『姉貴』監督):ここにスクリーンがあります。ここに中国の問題を投射してそれを、皆で一緒にこうだとかああだとか言いながら語りたいという気がします。私自身作品を撮っている時に犯すミスですが、ずっとオートフォーカスでやっていると、前にいる人物に焦点を当てているつもりなのに、オートフォーカスでやっているうちに焦点を当てるべき主人公に焦点が当たらないで、背景に焦点が当たってしまうということがよくあります。まさに今そんな感じがします。それは技術的な問題ですが、その他に解決しなければいけない文化的な問題や創作上の問題、創作上の問題は私にはないかもしれないですが、まあそういう問題があるとして、どうやって解決したらいいか、是非皆さんと討論したい。お聞きしたいと思います。私は監督というよりはこういった問題を携えてきたものという感じでここに座っています。以上です。
>>5)文化の崩壊? 分化?
ドキュメンタリーを巡る中国文化論議
につづく