9月5日(火) ドミニック・オーヴレイ監督 質疑応答

2005年に審査員として山形映画祭に参加していただいたドミニック・オーヴレイ(Dominique Auvray)さんが京都での次作のリサーチのため日本に滞在されていました。フランス帰国前に東京の映画美学校でマスコミ試写に参加していただき、初監督作品である『マルグリット・デュラス、あるがままの彼女』について、2005年の山形映画祭について、そして次なる展望について語っていただきました。
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★『マルグリット・デュラス、あるがままの彼女』の上映はアテネ・フランセ文化センターで10月14日(土)14:30からございます。1回のみの上映となるのでお見逃しなく!

『マルグリット・デュラス、あるがままの彼女』の作品紹介リンク

司会:矢野和之 通訳:坂本安美
会場・協力:映画美学校


司会:今日は2005年の山形映画祭で「インターナショナル・コンペティション」の審査員を務めていただき、今年の5月から枕絵を素材にした第2作目となる映画の準備で京都に滞在されていたドミック・オーヴレイさんに来ていただきました。

ドミニック・オーヴレイ(以下、DA):こんばんは。今日はご覧いただきまして、ありがとうございました。

司会:さっそく、みなさんから質問を受けながら、最初に先ほど見ていただいた『マルグリット・デュラス、あるがままの彼女』についてと、その後、2005年の山形映画祭についてお話をうかがいたいと思います。

Q1:資料のなかの言葉で、作品について「可能な限り音楽的な作品を作ろうと思った」とありましたが、それはどういうことか、お話をうかがえたらと思うのですが。

DA:個人的に編集というのはその作品の音楽性を生み出すことだと思っています。作品ごとの音楽性に重きを置いています。つまりリズムというものが重要になってきます。この作品に関していいますと、3つの声というものをどのようにつなげて調合していくかというのが大事な作業になりました。3つの声というのは、私の声、ジャンヌ・バリバールの声、そしてマルグリット・デュラスの声です。

 そのリズムというのは、すでに既存の映像から作るということだったので、自分自身が望んだリズムではなく、その既存のもののリズムを尊重して作らなければなりませんでした。もうすこしゆっくり進みたいところがはやくなってしまったり、自分の思う通りのリズムにならなかった部分もありました。

Q2:昔ながらのいわゆる伝記映画というと時系列でつないだりするのですが、この映画は構成がかなり自由に、主題的な変遷によっていろいろな話題に移り変わっていくのですが、このように構成を組み上げたのはどうしてですか?

DA:デュラスの人生を語りたいと思ったのではなく、私とデュラスの関係というのを描きたいと思いました。私とデュラスの関係から出てくるいろんなテーマによって章が構成されています。子ども、幼年時代の彼女、そして私の部分であったりというふうに、そこでも往来があります。男性との関係における女性、家との関係における女性、女性の狂気というもの、政治、共産主義、料理、エクリチュール。映画という章はないのですが、それは触れたくなかったのです。次の作品でデュラスと映画というテーマで撮りたいと思っています。デュラスの映画ではなく、デュラスと映画で。友情を込めた冒険としてこの作品を作りました。友人のそのままの姿を映画にしたいと思ったのです。彼女の笑い、彼女の知性、常に活動しているそういった彼女の姿を撮りたいと思いました。外に過剰に出ている彼女ではなくて、内なる彼女について映画を撮りたかったのです。

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Q3:とても印象的なデュラスの言葉が出てきていて、部分的に取り上げるのはどうかなと思うところもあるのですが、「はじめての作品は復讐をエネルギーにして作っている」という。今回オーヴレイさんは監督としてははじめての作品だと思いますが、そのデュラスの言葉についての思いと、今日は映画美学校の学生もたくさん来ているので、はじめて作品を作る学生に対するメッセージとかあればお聞かせいただけますか?

DA:思いきって撮るということが大事だと思います。デュラスの作品を編集をしていて『トラック』『船舶ナイト号』『バクステル、ヴェラ・バ クステル』とか、編集にはクレジットされていないのですがアシスタントについていました。他にフィリップ・ガレル、ヴィム・ヴェンダース、クレール・ドゥニ、ペドロ・コスタ、こういった重要な映画作家たちの作品を編集してきて、その後に自分の作品を監督するということは、やはりすごく決意がいりました。思いきって撮るために、他の人たちの作品なんて気にしないわ、という気持ちがどこかで必要だったんですね。この作品を撮って、次の作品も撮ると決まって、心がおだやかになっています。心をおだやかにしたければ思いきってなにか自分のやりたいことをやってみることがまず必要だと思います。他人の欲望によって生きる、動かされるのではなくて、自分の欲望によって作りたいという気持ちになっています。

Q4:先ほど語りの話をされていましたが、製作者側の語りというか、ナレーションをどのように考えていらっしゃいますか? 製作者側から、映画にどのように言葉をのせていくのかということについてです。

DA:ナレーション、オフの声というのはある時はすごく貴重なもので、ある時は使用するのにひじょうに難しいものです。たとえばあまり出来のよくない作品というのは、オフの声はオフではなくて、物語ってしまいます。映像を見ることをさまたげ、ショットとの出会いを邪魔し、見ている側の自由も奪ってしまうことが多いのです。なにかに原則をあまり持たないようしています。なにをやるかが問題ではなくて、どうやるかが問題だということにしたがって、流れを生み出すこと、作品がなにを自分に呼んでいるのかということを聞かなければいけないと思うので、その声を聞く、作品が出しているものを聞くということにしています。

 私の作品でいいますと、自分の部分は最小限にとどめようと思いました。マルグリットの言葉を聞いてほしいと思いましたので。説明を加えたり、学術的なことを言及したいということではなく、どういうテーマを選んで、どのように構成していくかということを考えていました。

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司会:そろそろ山形のことへ移りましょうか。これから開催されるドキュメンタリー・ドリーム・ショーでもそのほとんどの作品が上映されます。山形映画祭で審査員をされましたが、そのことについてうかがいたいと思います。
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DA:いろいろなことにとても満足しています。まずは日本に来ることができて、とてもよかったと思っています。東京日仏学院で自分の編集した作品、そして監督作品を特集していただいたことを誇らしく思っています。そして、山形映画祭に審査員として参加できたことを光栄に思っています。山形映画祭はヨーロッパのどの映画監督もみんないきたいと思っている重要な映画祭とずっと聞いていました。そして4カ月京都で過ごして、今日ここに呼んでいただいてお話できることも嬉しく、とても幸せな女だと思っています。

 ドキュメンタリー映画祭のほうがフィクションのものより面白いと個人的に思っています。たとえばカンヌやベネチア映画祭でも、最近の傾向ではドキュメンタリー映画祭になっているのではないかと思っています。世界を語るということについて、フィクションにしても、ドキュメンタリーにしても多くの嘘、また、多くの真実がそこにあります。けっきょくは主観の問題になるのだと思います。

 山形で見た作品には心から動かされる作品が多かったのですが、そのなかでも大賞をとった『水没の前に』はたいへんすばらしい作品でした。ふたりの中国人の監督が撮った作品です。李一 凡(リ・イーファン)、鄢雨(イェン・ユィ)監督、彼らがロバート&フランシス・フラハティ賞をとっています。リンク
(鄢雨監督の質疑応答はこちらリンク

 そして『ルート181』。この作品はパレスティナとイスラエルという常にいろいろな問題に揺れ動いていて、そして私たちもそれによっていろいろ動かされている場所についての作品です。ある意味では主観的な作品で確信的な反シオニズムという作品だと思います。それでも、共存していくしかない、共存していくことしか見えてこないということを語っている作品です。リンク

 あと、ささやかな作品ですがとっても好きな作品が何本かありました。『静かな空間』『海岸地』です。リンク

 この映画祭が賞を与えてきた監督の名前を挙げれば、みなさんご存知の通り、映画祭のことが見えてくると思います。フレデリック・ワイズマンやヨハン・ファン・デル・コイケン、ペドロ・コスタ、ロバート・クレイマー、ソクーロフ。忘れてはいけないのはアピチャッポン・ウィーラセタクン、河瀬直美、アヴィ・モグラビ、王兵(ワン・ビン)……。ドキュメンタリーということを言わなくても、いまの映画にとって重要な監督たちが山形に集まってきているわけです。

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司会:では最後にいま作っている作品についてお聞かせいただけますか?

DA:いま準備している作品は江戸時代の枕絵、春画についての作品です。そこに流れている時間、日本に流れている時間は、西洋に流れている時間とは違います。風、雨、そして動物。いろんな動物が出てきます。猿、いのしし……自分が泊まっているホテルの前に歩いているのを見かけました。あと、ムカデも。自然と人間との関係というのも西洋と日本はほんとうに違うなと思いました。西洋は自然を征服しようしていて、日本人はまだ危険なものを含んでいながらも自然と共にあるという姿があります。そういったなかで時間を過ごしながら自分の映画について考えることが、自分にできることだと思って過ごしてきました。

司会:パリにいた時から枕絵について興味があって、映画を作ろうと日本に来られたのですか?

DA:この映画について考えだしたのは3年前になります。いろいろな本や資料、日本の作家、夏目漱石や谷崎、森鷗外の作品などを読んでいました。仕事をしないでいい時間を4カ月もらい企画準備に費やせたので、いろいろなものを読んだり見たりしていました。これからパリに戻って製作資金をみつけなければいけません。ぜひみなさん、出資しませんか?(笑) これから創作を整えてかなければいけないというところです。フランスで撮影が開始できると思いますが、枕絵についている言葉を日本人の俳優に朗読してもらって、フランス人の女優にナレーションをしてもらおうと現在構想しています。

司会:先ほどお話しされていた、デュラスに関する次作については?

DA:デュラスの映像の抜粋、映像使用について権利を所有しているINAとの交渉がなかなか難しいのですが、構想は進んでいます。なんとか解決して、製作をしたいと思います。

今日はどうもありがとうございました。

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主催◎シネマトリックス
共催◎山形国際ドキュメンタリー映画祭実行委員会、アテネ・フランセ文化センター、映画美学校、ポレポレ東中野
協力◎東京国立近代美術館フィルムセンター、大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)、東北芸術工科大学東北文化研究センター

フィルム提供:
アテネ・フランセ文化センター、アリイケシンジゲート+大きい木、岩波映像、映画「戦後在日五○年史」製作委員会、川口肇、共同映画社、シグロ、疾走プロダクション、自由工房、白石洋子、鈴木志郎康、瀬戸口未来、高嶺剛、W-TV OFFICE、陳凱欣、朝鮮総聯映画製作所、全州国際映画祭、テレビマンユニオン、直井里予、日本映画新社、朴壽南、ビデオアートセンター東京、プラネット映画資料図書館、北星、松川八洲雄、松本俊夫、もう一度福祉を考え直す会・磯田充子、ヤェール・パリッシュ、山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー