台湾より駆けつけて上映に参加してくれた『25歳、小学二年生』の李家驊監督の質疑応答の様子をお伝えします。
『25歳、小学二年生』の最後の上映はポレポレ東中野にて9月28日(木)の12:30からあります。
みなさんお見逃しなく!!
at ポレポレ東中野
司会:濱治佳 通訳:白佐立
李家驊(リー・ジアホア):こんばんは、李家驊です。台風の日に私の映画を見に来てくださって、どうもありがとうございました。さっきみなさんがご覧になった作品は私が大学院2年目の課題作です。もともと、この映画は私個人の映画として着想されたのではなく、精神病の友人のことを取る予定でした。私が行っている大学院(台南藝術学院)は3年間のコースで、1年に1本のドキュメンタリーを作らなければいけないのですが、友人を撮るという企画はいろいろな問題が出てきたので、やめなければいけなくなってしまいました。その時に教授に相談したところ、まず、A4の紙一枚に自分のことを書いてこいと言われたのです。その時にこの映画の物語を私は書いたのですが、教授はそれを読んで「自分を一回振り返って、これをテーマにドキュメンタリーを撮ってみてはどうですか?」と助言をくれたのです。その時は絶対にイヤだと思ったのですが、教授に「自分のことが見直せないなら、あなたは自分のカメラに他人を写す権利はない」と言われたのです。それでこの作品に取りかかろうと決めました。
この作品ができあがった時には、自分と教授と学校の仲間だけが見て、そのうち棚のなかにでもしまっておくだけだろうと思っていました。たまたま上映をみてくれたあるおじいさんが友人に「この監督はラッキーですね。自分のことを17年間しか思い悩まなくてすんで。僕は37年も自分のことについて悩んだんですよ」と。それから、「自分も昔の仲間にもう一度会って、話をしたかったのですが、行方知れずかもう亡くなってしまいました。だからこの作品を多くの人に見せてくださいね」と言われたのです。このおじいさんに勇気を自信をもらったので、私は多くの人に見せようと思いました。そして山形映画祭にも参加でき、こうして今みなさんとお会いできたのです。
質問など、ぜひ何でも聞いてください。
Q1:すばらしい作品をありがとうございます。ご家族の方はこの作品を見られたのですが?
李家驊:映画のなかで父親の借金のこととかに触れていたので、父に見せる勇気がなかなかでなかったのですが、台湾で映画祭に参加して入選したので、この機会に父に見せてはどうかなと思いました。そして、「この間僕が撮ったドキュメンタリー見る?」と聞いたら、「ひきだしのなかに入っていた試作をもう見たよ」と。しかも自分が見るだけでなく、いろいろな親戚のところに見せてまわって、「これは息子の作品です。すごいでしょう」と言っていたそうです(笑)。
自分の祖父は「つまらない」と言っていたのですが、「見ていた時には泣いていたよ」と後から一緒に見ていた人に聞きました。この作品を見た家族はみんな、あの事件が自分に大きな影響を与えたということ知らなかったということでした。この作品をみんなが見てくれた後には、うまくとれていなかった家族間のコミュニケーションが少しとれるようになったと思います。特に変わったのは私と父の関係です。父は台北に住んでいて、私はいま台南で大学に通っています。台北から300キロくらいはなれていているところです。もともとは半年に1回くらいしか父は来なかったのですが、この映画を見てからは週に2、3回来て、ちょっと困ってしまいました(笑)。ある日深夜2時くらい、この映画の作業中にいきなり父から電話が来て「おなかすいていない? 食べ物持ってきたぞ、取りにきて」と言うので、門までいったら「じゃ、がんばってね」というなり車に乗って台北に帰ってしまいました。父があまりにも2、3カ月の間、頻繁に差し入れを持ってくるので、その時は台北に仕方なく帰りました(笑)。
Q2:こんなことを聞かなくてもいいくらい、すばらしい映画だったのですが、映画にでてくるインサートショットというか、風景というか、人とのやりとりではない心象風景のカットがものすごく多いと思うのですが、あれは最初にテキストやナレーションがあって、それにどういう画をのせようかと考えて作られたのか、それとも編集する段階でテキストと一緒に作っていったのか、教えていただければと思います。
李家驊:最初に撮影する時に、ナレーションは書いてみました。でも、なかなか予想通りには進みませんでしたが、基本的には制作中は常にカメラを持って撮っていました。小さい頃なじみがあったところに行って、自分のなかになにか感じる気持ちが出てきた時に撮影しました。映像はだいたい半分くらい撮っている時にこれを使おうとかその場で決めていたのですが、ひとつひとつのシーンはすべて自分の気持ちを込めました。たとえばお父さんとのシーンのネズミは、ずっとコントロールされているネズミと自分の父に対する気持ちをだぶらせたのです。
映画に出てくる友人とは今でも手紙のやり取りをしています。手紙の中にはいつも「李さんがんばってください、聖書の中ではがんばる人は天国に必ず行けると書いてあります」といったことが書いてあります。会う約束をしていたのですが、いろいろ都合がつかず会えずにいたら、その友人からプレゼントが来ました。相変わらずの長い手紙といっしょに来たプレゼントは中国語版と英語版の聖書でした(笑)。今考えてみれば、彼には信仰の力があったから自分のことを許してくれたのかなと思ったのです。それがなければ自分の作品もなかったのかなと思いました。
Q3:この作品以外どういった作品を撮られているのですか?
李家驊:習作として、友人でとても仲のいい韓国籍の監督について撮りました。これが第1作です。今日上映したのが私の2本目の作品です。今作っている3作目は、国際ニュースとかで知っている人もいらっしゃると思いますが、総督府の前で行われている陳水扁に抗議するデモについてです。このデモがどうなっていくかといった流れを撮っています。それと台湾にいるプロを目指すボクサーも撮っています。台湾にはプロボクシングという世界はありません。そういった環境はないけど、がんばっているボクサーを通して台湾人の持つ成功する概念について考えたいと思っています。「活躍する舞台がないのに、なんでプロを目指してがんばっているの?」と不思議に思われているのですが、舞台がないとがんばる意味がないと思われていることについてはドキュメンタリー作家の状況に似ているのではと思っています。あまりにもマイナー過ぎて、職業にもできないし、この人たちがなぜがんばれるのかを見ていけたらと思っています。あと、私の最後の作品になるかもしれませんが、私の亡くなった母についての作品をいま計画しています。
Q4:監督もお手伝いしていた、おじいさんおばあさんの経営する食べ物屋さんのシーンがよく出てきますが、食べ物屋さんの活気がないというか、糧を体に入れて元気を出すという感じではなくて、なんとなくつらそうにしてみんなやっているというかんじがしたのですが……。
李家驊:いまでも時間があればおじいさんおばあさんの食堂に手伝いにいっています。その手伝った経験はとてもいい経験でした。どうしてかというと、私は小さい頃はとてもケアされていて、世の中にはいろいろなことがあり、さまざまな人がいるということをあまり知りませんでした。そこのお客さんは基本的には労働者の方が多く、教育上よくない場面も見たりはしましたが、わずかなお金で一生懸命自分たちの生活を成り立たせている人たちの姿を知ることができたことは、とてもいい経験でした。特に自分のおじいさん、おばあさんたちがそうです。借金を抱えてはいるのですが、がんばっているふたりの姿をみたら、借金というのはそんなに深刻な問題ではないのではと思いました。みなさん、台北に来た時にはぜひおじいさんとおばあさんのお店に来てくださいね(笑)。
今日はどうもありがとうございました。