Dir. ヴォーン・ピーリーキュン
海岸地
Foreland
Voorland
監督:アルベルト・エリンフス、オウジェニー・ヤンセン
脚本:アルベルト・エリンフス 撮影:オウジェニー・ヤンセン、ロブ・スミツ
編集:オウジェニー・ヤンセン
録音:アルベルト・エリンフス、ミシェル・スフッピング、マルク・リスィル
音楽:ロブ・スミツ
製作:ジャープ・ヴァン・フワイク
製作会社、配給:ライム・カーデル・フィルムス
アルベルト・エリンフス
Albert Elings
1965年、オランダの二大河川に挟まれたファルブルグに生まれる。アムステルダムのアカデミー・フォー・ヴィジュアルアーツ、オランダ映画テレビアカデミーで学んだ後、1991年よりドキュメンタリー製作に携わる。作品の多くは時の移り変わりが主眼となり、製作期間も長期にわたるものが多い。
オウジェニー・ヤンセン
Eugenie Jansen
1965年、マーストリヒト生まれ。オランダ映画テレビアカデミーの卒業制作として『Koekoekskinderen』を撮る。長編映画の助監督、ドキュメンタリー映画監督として活躍。初の劇場公開作品『Tussenland』が2002年ロッテルダム国際映画祭VPROタイガーアワードを受賞。ふたりの共同製作は、生きたかかしの物語『Vogelvrij』(1996)から始まった。以後、『Nonnevotte』(1998)、『A Daily Life』(2000)、『The Royal Wedding Tapes』(2002)などで共同製作を続けている。
監督のことば
大きな河の岸辺で夏のけだるさに身を委ねながら草のベッドに寝そべる。ゆるやかに流れる水面におどる太陽の光を見つめる。遠くに聞こえるモーターボートのエンジンが、頭の周りを飛ぶ虫の羽音と重なり合う。堤防と河水の間にある水辺の地、ここでは時の進み方がほかとは違う。緑をたなびかせる風、牛たちはそのリズムにあわせて反すうし、川の流れは何にも動じず流れ続けている。だがこの牧草地ではすべてがかりそめの姿にすぎない。この“曖昧な土地”は、河が満つる前にもたらすわずかな恩恵によって存在するのである。
世間から隔絶した牧草地。ここからは人、動物、建物も違う様子に見える。時間を観察し、つかまえようとするには理想的な生活環境だ。同じ牧草地を長いあいだ一心に見つめ、耳を澄ますと(そして大事なのは、それについて語らないこと)、だんだんその場所に流れる時間が見えてくる。人々の考える進歩というものがその波間に揺れている。そんな、いささかロマンチックな出発点からこの映画は始まった。
『海岸地』は映画ではない。これは体験だ。7年の歳月を、オランダ独特の風景のなかをただよいながら感じる、時間の体験なのである。
シノプシス
オランダの牧畜と農業の村。人々や動物、木々や河の流れもすべてが豊かでゆったりと流れる。ライン川のほとりにある村の光景を7年の年月をかけ解説などをいっさい排してフィルムに刻んだ作品。時には河が氾濫し人々の生活を脅かす。何も変わらないようなこの村にも、やがて開発や変化の兆しが現れてくる。森林が伐採され、かつては中心的産業であったレンガ工場の廃墟も取り壊されてゆき、鉄道の地下トンネルが開通、静かな村も式典の賑わいに包まれる。
金槌と焔
Hammer and Flame
監督:ヴォーン・ピーリーキュン
撮影:S・ナラマトゥ
編集:ヴォーン・ピーリーキュン、ジャスティン・ミーランド
録音:B・ヴィッダーナルン、ヴォーン・ピーリーキュン
製作:ジャスティン・ミーランド
ライン・プロデューサー:スミタ・バルティ
配給:アンルーウェイ
ヴォーン・ピーリーキュン
Vaughan Pilikian
作家、画家、映画作家。詩集『At Eclipse』は2002年にロンドンで出版された。作品はヨーロッパのさまざまな映画祭で上映されている。『Mummers』は2004年のブラウンシュバイク国際映画祭でデル・レオ賞にノミネートされ、イギリスのフィルムストック国際映画祭で最優秀録音賞を受賞した。本作は2005年4月に、ブダペストのタイタニック国際映画祭で、プレミア上映された。他のいくつかの映画祭でも上映され、7月には、アルメニアのエレバン国際映画祭で最優秀ドキュメンタリーに贈られるゴールデン・アプリコット賞を受賞した。アンルーウェイでアート・ディレクターを務めるかたわら、ニューヨーク大学出版から出るサンスクリットの叙事詩『マハーバーラタ』の翻訳に取り組んでいる。
監督のことば
「船の死についての覚え書き」
インド北部の海岸に、船の死に場所がある。満潮の時に砂に乗り上げ、この偉大で悲しみに満ちた巨獣ベヒモスは、やがて潮が引くと、滅亡した文明の崩壊したモニュメントのように姿を現す。亡霊のようにそびえ立つ塔は、男と女の労働によって取り壊される。彼らのほとんどは、この亜大陸の貧しい地域からやって来て、ごく単純な道具だけを使う。主に収穫されるのは鉄だが、プロペラやエンジン、船の手引きや船員の食器にいたるまで、すべてのものが回収される。アランをめぐる論議は噂や神話と化し、インド国内、また国外からも非難され、そのまた非難が非難を呼んだ。それらの船は有毒物質の魂で、欧米の船主やブローカーたちは、売却後の船の処分について責任を回避し、労働者の健康や環境への懸念は、インドの買い手にとって重要な問題ではない。長い交渉を経て、私たちはようやく、イギリスの撮影クルーとして初めて立ち入り許可を得た。多くの報告を読んではいたが、実際目にした光景は、私たちの想像をはるかに超えていた。謎の廃虚と化した街が現れては消え、そこの住人たちは、目的も持たず、終わりも知らず、それでも真面目に真剣に働いている。海岸に横たわるガルガンチュアのような巨大な建造物を解体するという、想像を絶する困難な作業なのだということを、その様子からはうかがい知ることはできない。私たちは、アランの鼓動と一体になることで、目撃者となり、その寓話をスクリーンに再現しようとした。私たちの映画は、ドキュメンタリーというよりも、既知のものと、想像力を及ぼそうとするものの境界線上にある世界に、一すじの光を当てたどこからかの断片である。
シノプシス
北インド・アランに広がる船の解体場で真二つに割られるタンカー。鉄の塊であることを忘れさせるようなあっけない最後の瞬間が画面をゆるやかに流れては去っていく。小さな道具ひとつで鉄を砕き、火花を散らして溶けていく、鉄と汗。身ひとつで永遠と続くかのような作業を黙々とこなす労働者の男、女たち。その過酷な“営みの美”が生み出す解体絵巻は、見る者に現在の“生場”を問う。
9.29(金)15:30 @ポレポレ東中野
10.12(木)19:00 @アテネフランセ文化センター
コメント (1)
Little remained to secure the fastenings.
投稿者: aarp car insurance | 2007年02月06日 05:47
日時: 2007年02月06日 05:47