Dir. ミシェル・クレフィ、エイアル・シヴァン
ルート181
Route 181—Fragments of a Journey in Palestine-Israel
アラビア語、ヘブライ語/カラー、モノクロ/ビデオ/270分
監督、脚本、編集:ミシェル・クレフィ、エイアル・シヴァン
撮影:フィリップ・ベライシュ
録音:リシャール・ヴェルト、サリ・エズス
製作:オマール・アルカタン、ヴェルナー・デュッチ、
ミシェル・クレフィ、アラン・ボッタレリ
製作会社:モメント!
配給:シンディバッド・フィルムズ、モメント!
ミシェル・クレフィ
Michel Khleifi
ナザレ生まれ。1971年にブリュッセルに移住し、INSASで演劇を学ぶ。主な作品は、『豊穣な記憶』(1980)、『マアルール村はその破壊を祝う』(1985)、『ガリレアの婚礼』(1987)、YIDFF '91で特別賞を受賞した『石の賛美歌』(1990)、『L'Orde du jour』(1992)、『三つの宝石の物語』(1994-95)など。また、戯曲『La Fuite au paradis』の脚本、演出も手がける。
エイアル・シヴァン
Eyal Sivan
1964年、ハイファ生まれ。エルサレムに育つ。1985年にイスラエルを離れ、フランスに移住。主な作品は、『Izkor, The Slaves of Memory』(1991)、『Jerusalem, Borderline Syndrome』(1994)、『Aqabat-Jaber, Peace with No Return?』(1995)、『スペシャリスト—自覚なき殺戮者』(1999)、『Au sommet de la descente』(2001)などがある。
監督のことば
2000年10月に第2次インティファーダが始まり、パレスティナとイスラエルでは終わりのない流血が続いている。現実に築かれた壁、張りめぐらされた有刺鉄線は、ふたつの社会に暮らす市民の心をも隔てる分厚い壁を生み出してしまった。このような絶望的な状況を前にして、映画に何ができるのだろうか?
自分たちの社会を揺さぶる悲劇的な惨状に直面し、私たちは自らの信念を映画という形で行動に移した。私たちはともに、映画作家であり、友人である。そして偶然にも同じ地域で生まれた。現在はふたりとも異国の地で暮らし、15年以上、映画の世界でそれぞれのキャリアを築き、ふたりの友情はずっと続いている。
私たちは、祖国に帰ることを決意した。1947年に国連の投票によって決められたパレスティナ分割案の境界線が、この映画の出発点となった。
固定観念から自由になって、実体としては存在しないこのルート181を私たちは辿った。撮影する時は、総体としての結論を明らかにしないまま、物事、男性や女性、場所を見つめるようにしていった。偶然の出会いに導かれ、私たちはともに、言葉や情熱、そして幻滅に、耳を傾けた。危険に満ち、死と隣り合わせの日常というものに対する愛を、まず自分自身の中に、次に撮影の対象の中に、呼び起こそうと努力した。
未来に向けての真に“現実的な”解決策は、それがユダヤ人であろうとアラブ人であろうと、市民が共存できる国家を思い描くことの中にしか存在しないと、私たちは確信している。近東の“現実”における悲劇的な状況は、人間によって作りだされたイデオロギー的で病理的な構造だ。作りだした同じ人間によって、それは解体することができる。このプロジェクトで私たちが求めるものは体験の共有である。現実に対して、そして現実に応じて行動するために、私たちは幻想化や神秘化をせず、あるがままに受け入れる準備がある。
シノプシス
2002年夏、2カ月に渡りパレスティナ人とイスラエル人の両監督は、1947年にパレスティナを二分するために採択された国連決議181条で描かれた境界線を「ルート181」と名づけ、それに沿って故郷を共に旅する。ルート181に凝集された様々な人々の過去や現在を丹念にカメラに収めながら、パレスティナ、イスラエルのみならず、私たちが抱える問題<国家、民族、国境、移民、差別……>を照射し、未来を見つめる太い熱脈が波打つ作品。
コメント (1)
The mountains rose around it; modest young women.
投稿者: tv spy | 2007年02月04日 02:08
日時: 2007年02月04日 02:08