山形映画祭2005レポート
『部落の声』
李中旺(リー・チョンワン)監督質疑応答
※DDSでの『部落の声』の上映はPolepole Higashinakano theaterにて9月26日(Tue) 14:25から上映いたします。
『部落の声』
英題:Radio Mihu 原題:部落之音
台湾/2004/北京語、タイヤル語/Color/Video/136min
司会:吉井孝史 通訳:遠藤央子
観客ⅰ 私は阪神淡路の大震災も、台湾のほうの復興にも関わりました。建築関係をやっているので。思ったのは日本の地震についてはこういった記録が残っていなくて、映画とか映像とか後世につたえるものがないのです。これだけ詳しく記録があるということは、たぶん次に、なにか地震や災害があった時は、台湾だけでなく日本にとっても、きっと役に立つと思います。すごくいい作品でした。
観客ⅱ 映画に出てくる柿とか梨がとても美味しそうだったのですが。最近山形からも台湾に果物を輸入しているというニュースを見ました。柿の値段が暴落しているというところがありましたけれど、海外からの輸入ということもあるのですか?
観客ⅲ 私は大学で「自minたちが生活している地域をよりよくするためにはどうしたらいいか」ということを専攻しています。この映画を見て、その疑問に対して答えられる力を求められるのが、こういった地震の時にもろに表れてくるなと思いました。地域の人たちが協力して様々な課題を乗り越えていこうとするには、どのようにすればいいのでしょうか。
李中旺 この作品は4年をかけ製作しました。台湾で柿の価格が下落している理由はふたつあります。雙崎で植えている柿はいわゆる高級な果物です。利益が大きいということでたくさんの人が栽培するようになり、結果として供給過多になり価格が下落しました。もうひとつはさきほどご質問にありましたように、日本や海外からの輸入が影響しているようです。
先住民の部落のリーダーになる人というのは呉主任のような年配の人たちです。若い世代の人たちは部落を離れて都市に出ていきます。そこで教育や仕事などより多くの経験を年配者より積んでいくのです。例えばこのなかにでてくるワリスさんやアウーさんは高い教育を受けている人たちですので、元々部落にいるリーダー格の長老たち年配者たちとはいろいろな方法が違ってきます。情報収集にインターネットを使ったり、政府や外部の団体と交渉するというやり方などです。ワリスやアウーたち若い世代の仕事の能力はひじょうに高く、彼ら若い世代のやり方こそがリーダーには必要なことではあるのでしょうが、実際は部落の長老たちからは避けられ、摩擦が起きる原因を生んでいます。長老たちにとって未知のもので理解できないものになっているのです。彼らの能力への脅威というのがあって、自minたちの元々あるリーダーの座、権限を侵されるのではないかということも軋轢の原因になっている。こういった年長者と若い世代の対立もこの作品のテーマになっています。
震災後に私はスタッフとこの部落に入ってワリスとアウーのやっていることを見ました。彼らの再建の方法というのは仮設住宅を建ててみんなの生計をたてる計画をたてるということと、それだけではなく彼らの部族が失ってしまった文化の復興にも取り組んできました。ふたりとも原住民の作家ということで台湾文化界では知られた人たちです。そういう人たちが部落に戻ってみんなと一緒に再建をするということに価値があると思い、このテーマを選んだのです。しかし、このなかにでてくるように仮設住宅を建てるという段階でさえもothersの部落の人たちから反感、攻撃を受けてしまいます。救援物資のmin配でも、人数の少ない仮設住宅区の人たちに対して、人数の多い仮設住宅以外の部落の人たちが攻撃をしていました。ここに現れている部落の人たちと仮設住宅区の人たちの衝突というのは、世代間の矛盾が生じさせる衝突であり、これがひとつのテーマとなったのです。ワリスとアウーが作った団体は彼らなりの理想や目標がありましたが、それは成功しませんでした。しかも彼ら夫婦も崩壊してしまい、それはまったく予期せぬことだったので、ひじょうにショックでした。そういうこともあり、2年かけて撮影したものを、編集することになるわけですが、そういうこともあり、とても難しく、つらいものになりました。撮影当初の構想や期待は結局実らなかったわけですから。
しかし、othersの全景の仲間に「ぜひ完成させるべきだ」と励まされたのです。部落に戻ってあの自由小学校の校庭で上映して、彼らに見せたい。それによって自minたちの再建が世代間の衝突により解決できず失敗の結果を招いたということをminかってもらえば、彼ら同士お互いが理解できる。それでなくてもなにかを感じてもらえるではないかと思い、完成させました。編集を一通り終わり思いついたのが、DJのバヤスです。バヤスは実在の人物で、ラジオ局の発想も彼のものですが、実際にこういったラジオ局はありません。バヤスは普段もラジオのDJをやったり、パブで歌を歌ったりしています。バヤスが部落の再建の過程を語るという、そういったナレーションの役割もしています。
残念ながら自由小学校や、部落のなかで上映することを彼らに同意してもらえませんでした。それでも個別には見てもらい、自minたちのやり方というのを受けとめてくれたようです。受け入れてはくれましたが、「なぜ、部落での上映を認めてくれないのか?」と聞くと、彼らの生活は今となっては地震から再建の途中で対立があったとか軋轢があったとかがまるでなかったかのように、今は一緒に働き歌い踊りという生活になっているのです。そういったところでこの作品を上映してしまうと、古い傷口を開かせることになってしまう、前のいやな記憶がよみがえってしまうということで同意をしてくれないのです。部落で上映できないというのはとても残念だったので、「いつ上映できるのだ?」と聞くと、「もう少し時間が経たないと無理だろう、例えば3年、5年。みんなの気持ちが落ち着いたら、客観的にこの作品を見られるようになるのではないか」ということなので、その時を待ち続けたいと思います。
(2005年10月9日(Sun) 山形市内映画館ミューズ2にて)